視察旅行記・ミャンマー編
2018年12月7日
2018年11月7日から10日3泊4日でミャンマー(ヤンゴン)、香港と視察を兼ねたボランティア活動に行ってきました。
今回の目的はミャンマーにある「ヤンゴン日本人墓地」に日本風のロウソク立てや線香台などの仏具を献納するボランティアです。
第二次世界大戦では、ミャンマーでも三重県から多くの日本人兵が出兵しており、多数の犠牲者が出たそうです。少しでも戦死者の魂が安らぐようにとの思いでボランティアを行っている人に誘われ参加いたしました。※第二次世界大戦時の情報はこちら
このボランティアを企画したのが、三重県御浜町の鬼頭宝徳さん。(トップ写真右の方)
共通の知人でもあった湊石材店の湊くんから紹介していただき、今回の企画を聞かせてもらったのがきっかけです。
鬼頭さんは地元の方の親がミャンマーで亡くなり供養に行ったことがきっかけで、何度も足を運んでおり、この企画を思いついたそうです。
私たちが生きている現代を作り上げてくれた人たちのことを知れる機会と、ラストフロンティアといわれているミャンマーの現状も見たくて行ってきました。
東南アジアは、シンガポールから始まり数カ国行ったことがあるのですが、ミャンマーは初めて。これまで興味が無いというか、あまり行きたいと思ったことがない場所でした。
キャセイパシフィックでエアチケットを予約。往復5万円程度で行けることにビックリ。もっと高いとイメージしていました。
さて出発当日ですが、初っ端からトラブル。
飛行機が遅れて乗り継ぎが上手くいかず、香港で6時間ほどの乗り継ぎ時間が必要になってしまうとのこと。
ミャンマーへの到着が深夜になると言う報告。
それは辛いとカウンターで鬼頭さんが交渉した結果、タイ航空にチケットを変更してもらいまさかのタイ乗り継ぎ。
アライアンスが違っても飛行機を変更してくれるのを初めて知りました。
結構、飛行機乗ってるつもりでしたが、まだまだ知らないこと多いし、やはり言ってみるもんですね。
何とかミャンマーに19時くらいに到着しホテルへ。
その際、日本人の2人組と一緒になったのですが、初めてのミャンマーで日本円しか持参しておらず換金できない状態らしい。
僕も初めての経験だったのですが、ミャンマー空港では日本円はミャンマーの通貨でもあるチャットに換金できないんです。
そんな日本人を捨てていくわけにもいかず、宿泊する場所は違ったのですが一緒にタクシーで移動することに。
お金が換金できなかったら、どうするつもりだったんでしょうね。
なんだかんだありながらホテルに到着。
今回宿泊するホテルはAlfa Hotel (https://alfahotelyangon.com/)
このホテルは香港の方が経営しているらしいのですが、Assistant General Managerが日本人の日比野さんという方で、日本人にとっては非常にたよりになるホテルです。
日比野さんもこの投稿を見てると思うので先に失礼を承知で書くと、決して高級ではありません。しかし日本人が経営に参画しているという安心感とスタッフサービス。また日比野さんの人柄を考えると凄くステキなホテルです。
もし次回ミャンマーに来ることがあれば、また利用するでしょう。行くことあるのかな・・・。
到着当日は晩御飯を近くの中華系ミャンマー料理屋さんに。
とりあえずミャンマービールを。と頼んだのですが炭酸が抜けてる・・・。そんなこともよくあるらしい。
でも思いのほか美味しくいただきました。
当然、今回の旅では事あるごとにミャンマービールにお世話に。
料理は米粉麺のモヒンガーを中心にチャーハン、餃子などを注文。餃子はパクチーが効いていますが日本の餃子そっくり。
鬼頭さん曰く昔、日本人が調理方法を教えたということです。
食べ物が美味しくないと旅がつまらなくなるのですが、ミャンマー料理は日本人の口に合うようです。
この店が人気店ということもあるんでしょうけどね。
ミャンマーでは夜9時半を過ぎるとお酒を売れないというで、旅の疲れとともに早々に就寝。
さて翌日、旅の目的であるヤンゴン日本人墓地に出発。
日本人墓地がある場所は中心部から約1時間程度。タクシーでないと行けません。
タクシーではAlfa Hotelの日比野さんと一緒に。
町並みを見ながら日比野さんの経歴をお聞きするなど道中楽しく過ごさせてもらいました。
ヤンゴン日本人墓地がある場所の周りは、ほとんど整備されていない道と町。
こういった場所を見ると、つくづく自分たちが住んでいる国、町の良さを感じますね。
ここで今回日本から持ってきた日本風のロウソク立てや線香台などの仏具を献納。
この墓地を管理されている池谷さんと合流し、墓地の成り立ちなどを説明していただきました。
池谷さんは50年ほど前に仕事の関係で来られ、そのまま現在まで住んでいるそうです。
墓地には、戦没者慰霊碑の他にも様々な理由で現地で亡くなった人たちの慰霊碑など感慨深いものがあります。決して市内からは近くないですが、空港からは比較的近いので、もしヤンゴンに訪れる際には一度寄ってみてもいい場所なのではと思います。
その後、市内に戻り少し町を探索。日本からそのまま輸入されきた車も多いようなのですが、本当に日本からきたのか怪しい車も。日本語が書いてあると格好イイと思われるそうです。
キレイな場所もありますが、まだまだ整備されていない場所が多い。
高級スーパーに行ったのですが、買い物をしているのは外国人が富裕層が多いのが印象的でした。
ミャンマーでは社会主義が終わり、民主化に向かっているようですが貧富の差が大きく、政府に対する不満も増えてきているようです。
夕方、ヤンゴンのシンボルでもあるシュエダゴン・パゴタに。
残念ながら工事中でしたが、20年毎くらいで周りに貼ってある金の板を張り替える作業の真っ最中らしいです。
こんなタイミングで来れるのもご縁なのかもしれませんね。
ちなみに周りに貼る金の板ですが、寄付が多い人は金の板に名前を入れてもらえるそうです。
パゴタの中は豪華すぎるほどの金銀財宝。ココまでやると趣味が悪いというより尊敬に値します。
金閣寺がしょぼく感じますよ。
帰り際、ミャンマーの宝くじを販売しているところを見つけたので購入。
ただ何が書いてあるのかまったくわからない。当たってもどうすればいいのやら・・・。
さてミャンマー最終日は民主化活動家のNay Myo Zinさんのところへ。
ミャンマーといえば、アウン・サン・スー・チーさんが思い浮かぶのではないかと思うのですが、
Nay Myo Zinさんは今、もっともミャンマーで注目されている一人です。
ちなみにfacebookのフォロワー数は51万人。半端ないです。
本当にミャンマーの将来を考え、教育、技術、農業など積極的に支援を行っている方。
私たちと会う前日も片道12時間かけて田舎の方に支援物資を届けに行っていたそうです。
せっかくならということで、ミャンマーの正装に着替えて伺うことにしました。これ着なれると結構よくて、夏なら日本でも着たいと思う衣装です。ちなみに上下、足元まで揃えて日本円で2,000円程度。物価でいうと日本の約5分の1程度でしょうか。
一緒に会食しながら、ミャンマーの将来やこれから出来ることなどを話させていただきました。
日本にも来たいそうなのですが、政治的な活動を行っていることでVISAがおりず行けないそうです。
私たちと会った日もVISA申請したそうですが、今回も難しいかも知れないと言っていました。
少しの時間しか話すことが出来ませんでしたが、会った瞬間にパワーと信念を持った人だなと感じました。
ただ凄く人柄もよく、言葉一つ一つに思いを込めてお話する姿は尊敬に価します。
真似しようとしても出来ませんが、今後少しでもお役に立てることが出来ればと思います。(右写真、僕の左隣がNay Myo Zinさんです。右隣が弟さん。日本語教室を運営しています。)
ちなみにNay Myo Zinさんの弟さんは日本に数年住んでいたらしく日本語教室を経営。
丁寧な日本語で対応してくれました。またお兄さんは日本に住んでいるそうです。
Nay Myo Zinさんと別れ、出国。短いミャンマー旅でしたが濃密な時間となりました。
政府が安定していないので法律がコロコロ変わりビジネスとしてはリスクの多い場所だということも実感しましたしたが、まだまだ出来ることの多い国だと思いました。
乗り継ぎが香港だったため、一泊することに。
実はいつも乗り継ぎで寄るだけで香港に降りるのは初めて。
夜中に到着したこともありヘトヘトで到着したのですが、タクシー乗り場を見ると長蛇の列。
ホテルまでは約700mということで、仕方なく徒歩で移動することに。
これが失敗。約700mということなんでなめてたのですが、ずっと上り坂。
汗だくになりながらホテルに着いた頃にはもう深夜。
町で夕飯の予定が疲れからホテルでの夕飯になってしまいました。
翌日は早めにチェックアウト。
本当なら夜景を楽しむ場所であるビクトリアピークに。
残念ながら天気が悪く町並みをキレイに見れませんでしたが楽しく過ごしました。
その後、もう一つの目的地。ブルース・リー像を見に行くことに。
僕のイメージでは海の辺りに像が建っていると思っていたのですが移動したそうで、町の公園の一角にありました。
ココもまた工事中。今回の旅は工事やらトラブルやらいろいろありました。
出国まであまり時間もなかったので、公園の近くの中華料理屋さんへ。
当然、香港名物の海老ワンタン麺を注文。思ったよりも美味しくなかったのが残念。
次回、香港に行く際はちゃんとリサーチしてから行きたいと思います。
ミャンマーから香港と陰と陽のような国を見ると世界は広いとつくづく感じます。
しばらく東南アジアに行くことがなかったので、またこれからも周ってきたいなと思いました。
今回の旅でお世話になった方々にお礼とともに、またお目にかかれますことを楽しみにしております。